冥王星

“惑星とは旅であり、旅とは惑星である”
〜1930年2月18日 - 2006年8月24日〜


俺が「惑星」という旅に出てからおよそ75年の月日が経った。
1930年2月18日、クライド・トンボーによって発見されてからその旅は始まった。


あの頃は惑星であることに夢中になり
必死で公転することだけを目指した。
そして、ひたすら太陽系を楽しんだ。
衛星カロンは常に傍らにあった。
この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。




半年ほど前からこの国際天文学連合総会を最後に
約75年間過ごした惑星界から引退しようと決めていた。


何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。
今言えることは、太陽系の惑星という旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。
そう思ったからだった。


太陽系は恐ろしく広大な領域。
それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。
惑星は多くの期待や注目を集め、そして公転の為の責任を負う。
時には、海王星の軌道の外側にあり、自分は完璧な惑星だと錯覚するほどの賞賛を浴び
時には、海王星の軌道の内側に入り込み、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛まれる。



惑星になって以来、「惑星、好きですか?」と問われても
「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。
責任を負って公転することの尊さに、大きな感動を覚えながらも
子供のころに持っていた惑星に対する瑞々しい感情は失われていった。


けれど、太陽系の惑星として最後の日となった8月24日の国際天文学連合総会の後
太陽系を愛して止まない自分が確かにいることが分かった。
自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。


それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきた惑星への思い。
厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。



そして、思った。


声を嗄らし全身全霊で応援してくれたファン――。
太陽系のどの宇宙空間にいても聞こえてきた「PLUTO」の声援――。
銀河鉄道999で終着駅に設定してくれた松本零士――。
本当にみんながいたからこそ、75年もの長い旅を続けてこられたんだ、と…。


みんなからのmailをすべて読んで
俺が伝えたかった何か、太陽系に必要だと思った何か、
それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。
それが分かった今、惑星になってからの俺の“姿勢”は
間違っていなかったと自信を持って言える。




今後、太陽系の惑星として公転することはないけれど
公転をやめることは絶対にないだろう。


これまで一緒に公転してきたすべての惑星、関わってきてくれたすべての人々、
そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。


“ありがとう” 

                   めいおう


(一部独自に改変・追記)